カッターもハサミも良く切れるだろうが、どれを使ってどんな紙をどう切るかを決めるのは自分自身

CEATEC JAPAN 2006:「Google八分、知ってますか?」眞鍋かをりが“国策検索”アピール - ITmedia NEWS

ろくに内容を読まずに件のプロジェクトに対して文句を言ってみる。
確かにネットにおけるgoogleの影響は少なからぬものがあるが、だからといってgoogleに100%依存している訳ではないし、「googleから無視されてしまうことだってないワケじゃない」とか「そういうケースだって有り得る」という想像力くらいは持ち合わせている。googleで見えないものはyahoo!やgooでも使えば見つかるだろう。我々はgoogleの検索結果がすべてであると錯誤するほどマヌケではない、はずなのだ。
と言いつつも、はっきり言えば自分たちはgoogle八分やらなにやらを知っていつつもgoogleに95%くらい頼っている。でもそれは道具として頼っているのであって、googleから見える世界をネットの世界のすべてとして「頼って」いるわけではない。それは「カッターナイフは便利な道具だから日常よく使うけれど、カッターナイフだけが刃物ではない」というのと同じことだ。
「カッターナイフは手先が滑ると自分を傷つけるし、やろうと思えば他人を傷つけることもできる」。確かにそれは正論ではある。そして「カッターは危険だからハサミを使いなさい」と言われると確かにそれはそうだなとかちょっとだけ思ったりもする。しかし世の中にはハサミじゃ切りにくいモノや切れないモノもある。ハサミを使うよりもカッターを使う方が早いものだってあるし、カッターの方が手慣れている人だっている。そしてハサミだって自他を絶対傷つけないと保証出来るものではない。自分もハサミでうっかり自分を切ったことが(ry
つまりはお仕着せっぽく聞こえるのがイヤなのだ。google八分?そんなモノは知っている。ただ自分が使う道具くらい自分で決めさせて欲しい。「これがカッターナイフの問題点をすべて改良したものでござい」とか言われて使えない刃物を持たされるのはゴメンなのだ。我々は使える刃物があれば言われなくても使うのだから、四の五の言わずに使える刃物を作ってくれればいい。使えないモノを(押しつけ方如何ではそこそこ使えるものでも)押しつけてもらうのだけはやめて欲しいだけなのだ。まあ、国策検索エンジンだからって押しつけられる訳でもないんだろうけど…

google八分が問題だ」とか言うなら、わざわざ自前で作っちゃうより「gogleの検索結果にgoogle八分にされたサイトを勝手に盛り込む検索エンジン」を作った方がいいんじゃなかろうか。
というか、http://www.asahi.com/life/update/1004/013.html?2006を読んでるとどうしてもQuaeroといろんなところが被ってるような気がするんだけど…