インドが足りない(インドと書いて「日常融解」と書く)

インドより帰国:小鳥ピヨピヨ
小鳥の中の人のインド旅行記を読んで無闇に感動。リフレッシュとか単なる観光のための旅行でなく、こういう「日常が融解する」、あるいは「オルタナティブな日常に身を投じる」旅を漏れは望んでいるのかも。

実は予備校時代、ほんのちょっとの時期にそういう「日常融解旅行」にあこがれていたことがあった。しかもきっかけはインドだ。
丁度そのころ精神的に思わしくなくて、ろくに予備校にも通ってない状態だったんだが、そんなときにあるテレビのドキュメンタリーで「インドの人が俗世間を捨てるために全てを捨て、ガンジス川のほとりで荼毘に付された人の灰を纏って瞑想に入る」という光景を見てしまったのだ。
人は全てを捨てることが、変わることが出来る。そんな事実に漏れは驚いてしまった。
ひとりでよく分からないことで悩んでたんで、とにかくそれに決着を付けるか忘れるかしようかと思ってインドに行くとかバックパックを背負って放浪の旅に出るとかそんなことに心が傾いてしまった。ろくでもない、というより不甲斐ない日常が融解する地平へ、自分もいけるかも知れない…
まあ、実際実行するところまでいけるほどの度胸も行動力もなかったチキンだったもんでさらに泥沼にハマってしまうというオチがついてしまったという、今となっては苦しょっぱい経験なわけだけれど(っつか経験すらしてないし!)。でもあのとき俗世間を捨てようと旅にでも出てたら今頃は変な宗教に引っかかったりもっと精神的におかしくなってたかも…

そんでそういう経験をすることなく今に至るわけだけれど、まだ「日常が融解する」場所や「オルタナティブな日常」に対する欲望はなくなってないようだ。そういうものにあこがれるってことは、どういうことなんだろうか。自分でもまだよくわからない。