学校は差違生産工場

よく考えると、非モテ意識の源泉ってのは大体小中高校の経験、あるいはスクールカーストの経験を元に形成されてるような気がします。小学生や10代の若者ってのは基本的に「他者との差違」を基準に考えたり人間関係を結ぶことがあって、しかも先生以外はそういう奴らしか存在しない(先生は原則的に何か重大な事件がない限り生徒同士の人間関係に干渉しない)ため、差違が常に生産されてるんじゃないかと思います。

実際に狭い世界に凝り固まってると分かりにくいことだけれど、モテ非モテでもスクールカーストでもいいけどそういう「社会」の外にはより広い「世界」があるわけで、学校で生産された差異を解消するためには学校という差違生産工場からある程度の距離を取るための緩衝地帯が必要なんじゃないかと(←宮台風)。

加筆訂正あるかも。