非モテをこじらせた人間に残される道は、(半径数十キロの)世界を敵に回すか世界から逃げるかのどちらか

なのではないかと、前回の非モテこじらせ期の頃のことを思い出した記事を書いて考えてしまった。ここで言う世界は宮台近辺で出てくる(社会とかシステマチックなものを超越した)「世界」とかセカイ系の(自分の精神の投影対象としての)「セカイ」でなく、自分を中心として半径一km〜数十kmくらいの狭い世界のことを言う。「世間」と言ってもいいかもしれない。
概して10代の認識する世界というのは、テレビからかいま見えたりする重大事件とか戦争とか政治的なイザコザとかが起こってるような広い世界と、自分の周辺…例えば親とか親戚とかクラスメイトとかがどうでもいいことで喜怒哀楽する身近な世界が同じくらいの大きさに見えたりする*1。そして十代の普段触れる狭い世界の中では、良くも悪くも「恋愛」が個々の価値観において少なからぬウェイトを占めたりしていて、恋愛に関わることは「一組の男女が共にずっと幸せに寄り添いたいと願う」以上の意味を持ちさえする。
二十代にもなれば、モテなくても社会生活がきちんと営めればモテをそれほど気にしなくても生きてゆける。しかし十代という人種は勉強さえしていればなんとかなると言うものでもなかったりする。十代という人種はなぜか「差異」とか「同一性」というものを非常に気にするゆえ、「自分は○○とは違う」とか「自分は▲▲に属していて、××とは共通のなにかを有している」とかそういうものに価値を見いだしたりする。なもんで、「自分は他人とは違う」「自分はあいつと同類項だ」ということを見いだすための判断基準を欲している。勉強ができるできないで判断するのもガキっぽいから、結局は趣味とかそういうところにいくんだろうけれど、その中でダークマターの如く、あるいは隠しパラメータの如く「差異と同一性」に影響するのが「恋愛経験」なのではないだろうか。
恋愛というものが人間の精神に大きな影響を与えるのは動かし難い事実なのだろう。誰かのことを愛しく思う→それを成就させるために打ち明ける→親しい関係を維持する→関係をステップアップさせる→ステップアップした状態で親しさをこれまで以上のレベルで維持する→(それ以上のステップアップ、或いは恋愛が終わってしまった後の総括)…という恋愛のステージは、人間関係の捉え方や自分自身の精神をある程度変化させるものではあるし、その変化が自分の周辺の狭い世界の変容にも繋がることも考えられる。恋愛経験というのは単純な「差異と同一性」への追加要素だけでなく、狭い世界を構成する人間関係を捉え直すことによる「狭い世界の再構築とそこから外の世界との調整」にも影響しているように思う。十代にとっての狭い世界というのは80%くらいが人間関係で形成されているんじゃないかと思うけれど、恋愛をするというのは、その世界に対して自分から積極的に関わったり関わられたりすること、誰かを受け入れたり誰かに受け入れられることで、間接的にその背後にある世界をいろんな形で受け入れたり受け入れられることなのかもしれない。
差異や同一性を生み出すものでありながら、それを突き破る可能性もあるもの。それが十代にとっての恋愛であるのではないだろうか。

そこから「モテない」という状況を考えると、かなりキツいように感じられる。そして漏れも実際キツかった。世界はいつまでも狭いままで、ヘタをすると存在自体を激しく否定され、狭い世界に対して無力な存在のままだった。中学から高校に欠けては、狭い世界を構成する人間関係の縦糸横糸から逃れられない状態で日々を過ごしていたようなものだった。
そんなわけで、中学の頃の自分は(こっぱずかしい言葉だけれど)世界を敵に回していた。がんじがらめの狭い世界の中で生きていくにはそういう状況に刃向かう姿勢でいるしかなかった。結局のところそれは被害妄想に近いものだったりもするしそんな姿勢のままだったからますます状況は悪化してたし女子からはずっとキモがられてたワケだけど。
高校の頃になると人間関係のしがらみの密度がいくらか減るのか、そういう感じではなかった。でも依然として狭い世界は過ごしにくいところで、良い状況とは言えなかった。そんなな自分が詩を書き始めたのは、自分のまわりの世界から距離をとるため、自分とまわりの世界との距離を測るためだったのかもしれない。あるいは、自分の周囲を構成する狭い世界を、人と関わることなく再構築するための行為だったのかもしれない。どっちでもいいけれど、詩を書いている間は狭い世界からある程度距離というか間合いというか車間距離を保てていたように思う。

そんな「非モテこじらせ期」が終わるのは、高校を出て札幌に移り住んだときだった。それまでの狭い世界とばっさりと切り離され、全く未知の世界に済むことになった自分は、そこで新しい世界を構築することになった。今までの狭い世界から逃げたことで、恋愛によらずともそのチャンスを獲得出来たのではないか…と思ったり思わなかったり。


ま、そんなことを言ってもまだまだ全くモテない訳ですが、少なくとも今の自分は非モテをこじらせてはいない…ハズ。

*1:いわゆるセカイ系というやつには詳しくないけれど、だからセカイ系が一定の年齢や特定の精神傾向を持つ人にウケているのかも知れない。漏れも本編見たこともない(そもそもテレ東系の見られない地方だった)のに第三書館の「エヴァンゲリオンスタイル」とか買ったなぁ