web2.0を超えたもの、それがweb1.x…とか逝ってみてスト 〜あるいは「体は2.0、心は1.0」〜

唐突だけど、最近疲れ気味だからなのかネットを見ていても心ときめくことがあまりない。
とりあえずはてブの新着をチェックしてみたりするけれど、どうもはてブで取り上げられるモロモロの話題…例えば画期的なwebサービスだとか世論に対する所感やらツッコミやらにはなかなか興味をひかれない。ちょっと前くらいまでは「webで何も面白いことがなかったらとりあえずはてブ」みたいな感じで見てたんだけど、最近はそういう気があんまり起こらない。とりあえずは見るんだけれども。
YouTubeについてもはじめは面白がってちょこちょこと見てたんだけど、今では興味はかなり薄れてきている(そもそもそれほど興味があったのかについては自分でも疑問があるけれど*1)。それとYouTubeあたりを起点としてネット界隈で話題になってた成宮だかなんだかというアニメにも全く惹かれなかった。なんというか、盛り上がれば盛り上がるほど「どうでもいい」という印象しか持てなくなってたように思う。
そのアニメだけでなくて、なんか最近の自分はそういう新しめのモノ、乱暴に逝ってしまえば「web2.0」的な事象の盛り上がりについていけなくなってるような気がする。家に帰ればぼーっとネットを巡回してるんである程度新しい情報というのはもちろん手にはいるんだけど、新しい事象が巻き起こしてるイベントに参加しているのではなくて単に傍観しているだけ(しかも盛り上がるほど傍観度が高まってく)という感じがする。

もしかしたら、今の自分はwebの新しめの話題についてくための「web体力」というのが衰えてるのかも知れない。

で、その「web体力」の減衰で個人的に感じるのは、もしかしたら自分が惹かれるのはweb2.0的なものというよりweb1.x時代のものなんじゃないかということだったりする。
自分はよく暇な時にwikipediaの「おまかせ表示」で出てきた項目から他の項目をどんどん開いていってヴアーっと見ていくことがあるんだけれど、これって「休日にある人のweb日記を最初からダァーッと見ていく行為」に近いような気がする。wikipediaも一応web上の協働作業をベースとしてるのでweb2.0として捉えられてるらしいけど、見る側からすると本質的にはweb1.x時代のコンテンツとさほど変わらないように感じられるのだ(ブログにweb日記とさほど変わらないところがあるように)。
技術に疎いほうなのでweb1.xとweb2.xの違いというのがどこら辺にあるのかよくわからないけれど、個人的にはweb2.xのような「蓄積されたデータを動的に表示・操作出来る」というところよりも、web1.xのような「蓄積されたデータを蓄積されたままに眺める」ところに興味を惹かれるんじゃないかと思うところがある。
もちろんweb2.0的なものというのはいじってて面白かったりなにかを作り出す時には楽だったりするので大歓迎だけれど、その性格から「受け手にもある程度の能動性を要求する」ところがあるような気がする。でもweb1.x的なものは(読むためにある程度クリックする必要があるにしろ)基本的にはスクロールして眺めていればよさそうな感じだ。web1.0というのはもしかしたら2.0よりもイージーなところがあるのかもしれない。

もしかしたら、自分がwebに求めがちなものというのは、web1.x的なものにある「私小説的なもの」なのかもしれない。なにかを公開することで他者と積極的に関わりを持つというより、なにかを公開する「だけ」。別に意見なんて要らないし、ともすれば「誰かが見ていてくれている」という自己満足・自己完結な世界にすらなってしまうようなもの。
というか今でも、自分のwebにおけるスタンスというのはそういうものだったりする。リンク元とかでどこから人が来ているのかを確認しないと気がすまない(?)ところもあるけれど、自分が書いたモノに対して予想外のリアクションを返されるとうれしさよりもとまどいの方が大きいことが多々ある*2

たしかに今の自分ははてなとかからweb2.0時代の恩恵をこうむっているけれど、自分が愛するものはまだまだweb1.x的なものなのだろう。

*1:だって見てた動画が何故かYMOの昔の動画メインだったし

*2:そういうところから「web1.x的スタンス」と「web2.x的スタンス」を考えてみると、web1.0的スタンスというのは「web上に自分の作り出したものを置くことをもって『自分が存在している』ことの証明とする」ことであり、web2.x的スタンスというのは「web上に自分自身の分身を置き、それを他の人の分身と関わらせることで『自分が存在していること』を感じる」ことなのかも知れない