ネットを信用できない人と信用できる人の差、あるいは楽観的なペシミストと悲観的なオプティミストのポルカ

書いてはみたけれど書きかけで放置している記事の続きのようなものとして書いてみるテスト。

その記事では「判断基準を他に委ねるか自分の側に持つかによって異なる」と書いたけれど、もうちょっと詳しく書いてみれば、

  • ネットを信用できない人
    • 人間というのは「そこにあるもの、書かれているものはとりあえず真実として受け止めるもの」と想定する
    • しかし実際は書く人間や取り上げたり賛同する人間によって歪みが生じており、さらに人間はその歪みに気づかない可能性がある
    • だから、不特定多数によって書かれた雑多なものではなく、誰かの手で歪みを修正、加工したもの(=新聞などマスメディア)が必要だ
      • つまり、「全ての人がバイアスを判断出来るほど賢い訳ではないので、あらかじめ判断されたものが提供される必要がある」という考え方、「お前がどんなにバカだろうと俺を信じてりゃ大丈夫だ」的なタイプ
  • ネットを信用できる人
    • 人間というのは「そこにあるもの、書かれているものが全て真実とは限らない」と想定する
    • だから、あらかじめ人によって書かれたモノや取り上げられたモノには多少の歪みがあることを知っている
    • 故に、誰かの手によって書かれ多少の歪みが入っているものを多数集めて自分で(頭の中で、あるいはブログとして)加工して使う
      • つまり、「全ての人にはバイアスを判断出来る能力が多かれ少なかれ備わっているので、最終的には受け止める側が判断する必要がある」という考え方、「お前もやればできる子なんだから自分で判断出来るはずだよ」的なタイプ

…ということになるかもしれない。というかそんなことなんて「ウェブ進化論」を読めば理解出来ることだけれど。

前者の方が頼もしいけれど、前者は「なにかを読む人の中にはそれをナイーブに信じてしまう人がいるところまでは想定出来るけれど、ナイーブに信じた結果どうなるかまで想定できてなさそう」「バイアスを回避しようとしているのに(あるいは回避しようとするが故に)逆にバイアスが生じてしまう」という点で欠点がありそう。後者は「個の可能性に依拠しすぎて、ナイーブに信じた場合のことについて多少無頓着」というのが欠点っぽい感じ。

やっぱりこの話はまとまりにくい。つかゾロリが始まったから観よう。