ヲサレとかラブハラとか

http://kammyblog.seesaa.net/article/10674255.htmlおよびその記事を取り上げているLatest topics > ファッションに見る価値観の相違と、不用意に口出しすることの危険性 - outsider reflexを読んで。とりあえず前者のコメント部分については半分くらいしか読んでないけれど。

個人的には、piroさんが前者のコメントで寄せている、

だから、馬鹿にされないレベルの「似合ったもの」を選ぶコツをこそ、服装に無頓着でありながら服装を向上したいと思っている人には、まず伝授するべきだと私は思います。

という意見に全面的に同意という立場です。ということでこれ以上言うことはなかったり。

…という展開はあんまりなのでもう少し。コメント欄の流れについては、Kammy+さんがファッションを数学に置き換えてるように「ファッション」を「コンピュータ」とか(ヲタ趣味とまでは逝かないまでもそっち方面の趣味)に置き換えてみると何となく問題が把握しやすくなるような気がする。コンピュータの基本操作がある程度当たり前に出来て、コンピュータのソフトやハードをいじったりネットから情報を得ることに楽しみを見いだせる人がいる一方で、マウス操作も満足にできなかったり、一応使えることは使えるけど仕事で半ば義務的・ルーチンワーク的にしか使わないから楽しいと思わない人もいる。
例えば前者がカスタマイズ性などの面からFirefoxを他の人に勧めようとする*1と、何らかの興味を持った後者の中からは多分「Extention? テーマ? プロファイル? about:config? いきなりそんなこと言われたって分からん!」となるはず。

でもコンピュータとか比較的マイナーとされる(主にインドアの)趣味でこういう軋轢があまり起こらないのになぜファッションでこういう軋轢が起こるのか。当たり前のことだけれど、多分ファッションという趣味がとりあえずメジャーなものであるという意識が多くの人に共有されてると思われてるからだろう。ファッションについて語る場合にはある程度の説明が不要になるけれど、コンピュータについて語るにはイチから説明しなければならない場合もあるし、興味のない、必要のない側もヘタに手を出さない、あるいはやむを得ず手を出さざるを得なくなった場合にもある程度の覚悟をすることが多いということだ。
しかし、ファッションという趣味がコンピュータやらマイナーなインドア趣味に比べてメジャーであることは確かであるにしろ、ほとんどの人がファッションを趣味としてとらえているわけではない。この軋轢はファッションという趣味は相対的には多数派であるが絶対的多数派の趣味ではないということを忘れたがために起きたのではなかろうか。
確かに多くの人は時には着飾りたくもなるだろうし、状況に合わせた服を着る必要に迫られることがある。そこにはある程度の趣味性は出てくるだろうけれど、だからといってそれが趣味と言えるのかどうかは不確か、つまりファッションというのは個々人の「趣味性」の問題であって「趣味か否か」の問題ではないような気がする。だいいち人間は家にいる時でも服を着てるものだし、外に出るとなれば場合に合わせてある水準以上の浮かない服装をする必要が出てくる。そこには服を選ぶのはやぶさかでないが特におしゃれな服装でなくてもいいと思う人や、服を選ぶのは面倒だという人もかなりの数いるんじゃないだろうか。またそういう「必要」の面があるからこそ厄介な部分というのもある。
この話題についてはもうちょっと参照元を読み込んでから追記するかも知れません。


ついでに、非モテ界隈の話題に首を突っ込むと必ず出てくる「ラブハラスメント」について。この県についてはあんまり触れてこなかったような気がするのでとりあえず書いてみる。
実は自分は非モテでありながら、ラブハラスメントと思われる状況を体験したことはあんまりなかったりする。いや、一応端から見るとラブハラと言える状況に置かれたことはあるんだろうけれど、そう認識する(=からかわれてると思う、揶揄されてと感じて不快になる)ことがそんなにないというか。
前の職場でも「彼女でも作ったら?」と軽い気持ちで言ってくる人がいたり、友人にも「彼女でなくてもいいから女友達くらい作っとけや、何かと得だぞ」とか言われることがある。それにどういうワケだか「お前は結婚早そうだよな」とか「意外に彼女出来やすいんじゃないか」とか言われることも結構あったりする。でも漏れはそれは不快じゃない。そういうことを言ってくる人間の多くは大体それほど悪気があるワケでもないからだと思ってるし、実際あんまり悪意もなさそうだから。もちろん見方を変えれば「非モテに対して無理解な人間が無意識なうちに行うラブハラ」(=受け取る側に起因するラブハラ)ととれなくもないけれど、今のところそう思うことはない。
非モテのうちどれだけの人があからさまな悪意に基づいたラブハラを受けてるのかは分からないけれど、もし世の中に(受け取る側の問題としてではなく、非非モテ側の意識による)悪意のあるラブハラに満ちているのだとすれば、漏れは非モテに対してあからさまな悪意を持たない人間に囲まれた幸せな人間、あるいは悪意があることに気づかないか心の中でそれを遮断してる「おめでてー」人間なのかも知れない。
ちなみにラブハラという問題を個人レベルでどう処理するかについても考えようと思ったけれど、またまたpiroさんの意見に同意。
Latest topics > ケコーン式 - outsider reflex

でも「あはははーそうですねー」と笑ってかわせるしたたかさを持つことくらいしか、実効性のある解はないのではないかとも思う。世界を変えることなんて所詮は不可能だ。

世界を変えるか、自分を変えるか。なーんつって。

*1:はいそこ、なんでFirefox?とか突っ込まない