漏れも自分のソニー遍歴を書いてみるよ〜ソニヲタの奇妙な青春〜

昨日に引き続いて津田さんネタ(?)。

音楽配信メモ 俺のソニー遍歴

この文章にえらく感動してしまったので、(恐らく元)ソニヲタの漏れもソニー製品にあこがれたり買ったりした遍歴を書いてるよ。小学とか中学とかの話も入るのでかなりうろ覚えの部分があると思うけど…



とめてくれるなおっかさん It's a SONYが泣いている 男ソニヲタどこへ行く


それがソニヲタになったのは、兄貴の影響があったと思う。兄貴は電子関係やらオーディオやらに関する興味が強く、また日本のオーディオメーカーの中ではソニーが最強と疑わなかったひとだった。ヘッドフォンステレオも当然の如くウォークマン、CDプレイヤーもディスクマン*1。兄貴が自分の部屋に置いたテレビとビデオはいずれもソニー(14型のテレビは未だに現役、ビデオは数年前までボロボロになりつつもだましだまし使われていた)。実家にいた頃使ってたラジカセだけははるか昔のサンヨーのラジカセだったけど、ひとり暮らしするようになってから買ったコンポはソニーのだった。

そんなわけでソニヲタというよりはソニー儲だった兄貴を見てた漏れもいつしかソニヲタになっていたというわけらしい。携帯プレイヤー周りのゴタゴタやConnectPlayerの欠陥騒ぎを見て兄貴がどう思ってるかは分からないけれど、多分今でも兄貴はソニー儲だと思う*2

 漏れが買ったソニー製品で多分最も古いものはヘッドフォンだった。緑色のインナーイヤー式のやつで、確か「ヴィオラ」という名前が付いてたような気がする。兄貴からCDプレイヤー(前述のディスクマン)を借りる時に使っていて、音質も良かったので自分のお気に入りだった。当時小学生だったガキの風情で音質がどうのこうのなんてアレだけれど。そのヘッドフォンはどっかで紛失してしまい現存しないけれど、今でもそのヘッドフォンで音楽を聴いてみたい、今の自分ならその音をどう感じるだろうと思うことがある。母さん僕のあのヘッドフォンどうしたでしょうね?…あの夏碓氷から霧積へ行くみちで渓谷へ落としたソニーのヘッドフォンです。僕はあのときずいぶんくやしかっ(ry

 その後漏れは随分とソニー製品を買ってもらうことになる。漏れが中学に上がる時に買ってもらったのは、当時最強の(…と、漏れが思いこんでた)ラジカセ「ソナホーク」ZS-7だった。横幅は50センチもないくせに前面にコンポのようにみっしりと操作ボタンが密集してて、でかいバックライト付き液晶ディスプレイがついていて、スピーカにはコンポみたいなネットがつけられて、グライコ・スペアナ装備な上にいろんなホールの響きをシミュレートできる「DSP」なるブツまであり、あまつさえリモコンで上下左右に動く電動スィーベルスタンドまでくっついてるという(ソニヲタ厨房的に)完全装備なブツだった。
はじめは親の予算を慮ったのか「CDプレイヤーがあるからそれを繋げられるラジカセ(ドデカホーンのCDなし)でいいや」とか思ってたんだけど、そう思いつつもカタログの「ソナホーク」のページを食い入るように見つめていた漏れを見かねてか親は「それでもいいよ」と言ってくれた。あぁ、親にはもっと感謝せねばならない*3
そのソナホークは一時兄貴のものになったりといろいろあったけど、漏れが大学にはいるくらいまで現役でいてくれた。


買ってもらうラジカセを検討するのにカタログを眺めてたのがよっぽど楽しかったのか、漏れは小学卒業頃から中学時代の一時期までを「カタログ集め魔」として過ごすことになる。週一回街までチャリを走らせてはいろんな電気屋を回ってAV機器のカタログをアホほど集めて、ヒマな時にはずーっと「戦利品」を眺めてニヤニヤして、寝るときはカタログの山を枕元に置いてカタログを見ながら寝るという変な青春。時には(ミニコンポとかではなくアンプとかプレイヤーがばら売りの)高級オーディオのカタログを持ってきて眺めるなど、今から考えると恐ろしい中学生だったように思う。
当時の漏れは(小学卒業近辺に初射精して以来)性に目覚めつつあったのだけれど、なぜかオナニー猿になるより先にカタログ猿になっていた。そしてこのカタログ猿生活が漏れをよりソニーへと傾倒させたのは言うまでもない。


当時カタログ猿だった漏れにとって一番「すげえ!」と思ったのがソニーのハイビジョンテレビだった。当時はまだ「MUSE」というデコーダを使ってたんだけど、第二世代MUSEデコーダとかいうのが出てハイビジョン関連の商品の値段が一気に下がったことがあった。それまでソニーのハイビジョンテレビは400万くらいするという誰が買うのか分からないブツだったのに、第二世代MUSEデコーダを積んだ新しいハイビジョンテレビは180万程度と半分近くになったことに漏れは驚いた。そういや当時はどこどこでハイビジョンテレビが展示されるとか聞いたら真っ先に走ってってハイビジョンのきれいさに驚いてたんだよなぁ。今はすっかり地デジイラネ派だけど。


で、確かその後買ってもらったのはウォークマンだったと思う。もちろんソニーの。当時の最新式のやつで、ホールドボタンの代わりに前面の操作ボタンを隠すシャッターみたいなのがついてたやつだった。でも中学だから学校に通うのにウォークマンを持ってくわけにもいかず、使う機会も極端に少なかったから結局気づかないうちに兄貴のものになっていたような記憶がある。
再びウォークマンを買ったのは中学後半の頃か高校に入ってからだった。例によって当時の最新機種で、これは(高校に入ったこともあって)かなり使ったような記憶がある。ソナホークを使ってCDをちゃんとウォークマンで頭出し出来る形式に録音して、毎日の登下校に使ってた。ちなみにカセットに入れて聞いてたのは主にゲームミュージックで、レイフォースやらダライアス外伝やらリッジレーサーやらレイブレーサーのサントラを聞きまくってた。プレステも買い、ゲーセン通いを始めた漏れはカタログ猿からゲーム猿になってたというわけだ。


その後MDが大分普及してくるようになって、漏れも録音機能付きMDを買って使うようになった。残念ながらそのポータブルMDはソニーでなく別の会社のものだったけど、ヘッドフォンはちゃんとソニーのものだった。使ってたヘッドフォンはこの記事に載ってるヘッドバンド式とインナーイヤー式の中間みたいなやつ(カラーリングも同じ)やつ*4で、低音がわりと出てくれる(当時は低音が出てくれることをありがたがってた)ので2〜3回同じやつを買い換えて使ってたと思う。
ついでに書いておくと、そのMDプレイヤーには「時々エラーが出て再生出来なくなる」「時々MDを認識しなくなる」という重大な欠陥らしきものがあり、一度買った電気屋さんで修理に出したもののその後も同じエラーが出て使えなくなったという悲しい思い出が*5OEMで別のメーカーから出てたのも同じ症状があったみたいで。


高校を出てひとり暮らしを始めた時に買ってもらったテレビは、当然ながらソニーのテレビだった。21型のやつで、形が「キララバッソ」シリーズに似てたタイプのもの。ひとり暮らしならどこの馬の骨とも知らない14型のモノラルのやつでも十分だったんだけど、当時の漏れはゲームに入れ込んでて「とりあえず画面はそこそこ大きく」「S端子が付いてる」ことが条件だったんで思わずこれを選んでしまった。ビデオは大学に受かってからソニーのものを購入。そのころはソナホークもまだ現役だったのでとりあえずAV関連は全てソニーで固められることに。
でもその時に買ったテレビ…今壊れてる罠。買ってから6〜7年しか経ってないのに、電源を入れてから画が映るまで10分以上かかるようになってるし。それも漏れがゲームをバンバンやったりテレビを点けたまんま寝ることが多かったりと酷使してたせいもあるんだけどね。


初めて買ったパソコンは、やはりというかVAIO。というかパソコンについてははじめっからVAIOにしようと思ってたわけではないんだけど、DVD-ROMドライブが付いてるということから何となく「バイオコンポ(PCV-M390V5)」にしたという感じ。当時としては性能はそこそこ使える程度*6で、当時のパソコンらしくわけのわからないソフトがアホほど入ってた記憶がある。一応ソニー製のメディアプレイヤソフト的なものも入ってたけど、DVDの再生が弱かったからさっさとアンインスコして、パソコンを買って貯まったヨドバシのポイントでDVDデコーダーボード(!)を買ったのは内緒だ。ちなみにそのVAIOは新しいパソコン(ショップブランドのやつ)を買った時に実家に引き取られ、今でも実家の今で現役…のはず。あと初めて買ったデジカメもソニーの130万画素のやつで、バッテリこそ使えなくなったものの今でもACアダプタを繋いで現役で使ってます。


今巷ではソニーのHD&シリコンなプレイヤーがブーム(泣笑)だけど、漏れも単体のプレイヤーではないけどATRAC3なファイルを再生できるものを持ってました。(携帯電話にメモリーカードを入れてデータを管理する、という概念が出てくる前に出た)メモリースティックを使った携帯電話…

…そう、SO502iWM。漏れはコレが使いたいがためにドコモと契約しこれを買ったんだよなぁ。とりあえずアルバム一枚入るくらいの白いメモステとリモコンとダイレクト録音用のケーブルは付いてたんだけど、MGメモステリーダ・ライタは別売り&売り切れだったんではじめはダイレクトで録音して聞いてたような。
そして後からリーダ・ライタ(OMGジュークボックス付き)を買ったんだけど、あらかじめ知ってはいたものの使い勝手の悪さに閉口。ソフトが見た目ばっかり豪勢で重かっただけでなく、既にリッピングしてあったMP3ファイルをメモステに転送出来る形式に変換するのにやたら時間がかかるのも辛かった。
実はその前に今は亡きダイアモンドマルチメディアの(これまた今は亡き)Rio300を使ってたんだけど、「転送が遅い」「使ってくうちに拡張用スマートメディアの使える容量が減ってく」Rio300といい勝負なんじゃないかと思えるくらいの使い勝手の悪さ(というとちょっと誇張か?)。
という感じで不満もあったけれど、「音楽が聴ける携帯」という当時としてはやや画期的なブツだったし使えないワケじゃなかったので、大学の登下校時にはずっと聴いてたし携帯電話としてもそれなりに使えて感じ。当時の携帯としては機能が古めで画面もちっちゃくて暗かったし文字入力もPOBoxじゃなかったからイマイチではあったけれど、もとから電話やメールする相手もあんまり(ry


なんだかんだ言いながらSO502iWMを3年近く使ってた漏れも、去年の初夏に携帯を買い換えることに。買い換えた携帯もソニエリのやつでしかもメモステから音楽が聴けるSO505iSだったわけですが。505iSに買い換えるとほぼ同時にOMGジュークボックスもバージョンを上げてソニステ(Mora仕様)にしたわけだけど、バージョン上げてみたら使い勝手がかなり良くなっててちょっとビックリしたり。でもそれでもまだなんとなくATRAC3に対する不信感というか不安感が…


そんなわけで、漏れも現状まだまだソニーが好きでそれなりに期待はしてるらしいけれど、津田さんとはちょっと違って携帯プレイヤーについてはそれほど期待してなかったりする。一度ATRAC3の(苦い)味を知ってしまうとあんまり支持する気持ちにはなれないというか…もっと素直にMP3に対応してたら*7ここまで評判を落とすことはなかっただろうと思うんだけど、MP3への対応も結局後手後手時既に遅しみたいな感じだったしなぁ。
やっぱり漏れとしては、(ひとまず携帯プレイヤーに関しては)ソニーは落ちるとこまで落ちた方がいいような気がする。その上で自分たちの技術で何が出来るか、何を作るべきなのかをしっかり見据えて、プライドを再び築くために一度余計なプライドを捨てるべきだと思う。見た目や形だけでなく素直に「技術のソニー」…というか「技術は確かだろうけど何が出てくるか分からない、なんだかわくわくするソニー」に戻って、シンプルに人が驚くような商品を。

*1:当時のソニーのポータブルCDプレイヤーはCDウォークマンという名前でなく、「CDウォークマン」という名前が付いていたのは8cmCD専用機だけだった

*2:ちなみに兄貴は猛烈なソニー儲であるとともにMS儲でもあったり

*3:ここでものすごい余談。電気屋さんでソナホークを買った時一緒にとなりのレコード屋でシングルCDを一枚もらえる券というのをもらったんだけど、その時漏れがもらったCDはなぜか嘉門達夫の「替え歌メドレー3」だった。いや当時浜田省吾の「悲しみは雪のように」が流行っててそれが欲しかったんだけど売り切れで…

*4:ただし漏れが持ってたのはヘッドバンドの頭頂部からが折りたためるようになってたタイプ

*5:でもとりあえず予備校くらいまでは持ってくれた

*6:確か入ってたCPUがAMDK6-2・400MHzくらいだったような

*7:=MP3からATRAC3形式にしてということでなく、そのままMP3を転送出来るような形での対応にしてくれたらということ