相対化バナシ補遺

前日、というか今朝書いた相対化バナシでいくつか書き漏らしたことがあるのでちょっと補完。
漏れ自身相対化ができるようになってきたと書いたとおり、id:hazama-hazamaさんやid:Ivan_Wiskyさんの「モテないことへの苦しみを減じるには、モテるモテないとかコミュニケーションとかを相対化できるほど価値があるものに邁進すべし」という意見に対しては、激しくとまでは逝かないまでもかなりの勢いで同意します。彼女がいれば、あるいは彼女がいない状態でも充足できるほどうちこむ価値のある趣味があればモテる必要なんてないと思ってます。でも実際自分含む非モテさんたちは彼女すら出来ないケースが多そうなわけですし、非モテさん達が各所でくすぶってるのを見るとモテ非モテ以外の価値で恋愛至上主義を相対化出来る人も少なそうですし…

彼女がいる(あるいは、いた)こととモテは必ずしも相同でないはずで、個人的には彼女がいることと相同なのはモテよりも広い範囲の「非・非モテ」であるような気がするんですが、なんか非モテ界隈だとそうではないような感じがします。モテでなくても彼女は出来るのになぜモテが(仮想)敵になってしまうのか。
非モテが実は最も恋愛至上主義的」であるという考えに基づくならば、非モテは上(モテ)を意識して恋愛至上主義世界内でのスタンスを決めることはあっても横(恋愛至上主義世界以外の世界)を意識することがないからかも知れません(いわんさんの記事は多分そういうことを言ってるんだと思います)。でも恋愛ってもっと個人的でいろんな要素がからんだモノのように思いますが…