タイムスリップ・コンビナート

タイムスリップ・コンビナート (文春文庫)

タイムスリップ・コンビナート (文春文庫)

表題作がかの有名な「海芝浦駅」が登場するお話ということでだいぶ前に買ったもの。部屋を漁ってたら偶然発掘された(笙野さんごめんなさい)のでなんとなしに読んでみた。とりあえず今のところ表題作しか読んでないけど。

まず冒頭の30ページ近くずっと「どこかに逝けとか急かす『誰ともわからん奴』」と「口と心を切り離した状態で何となくその話を受け流す主人公(目下マグロに恋をする夢を頻繁に見ることで苦悩中)」の押し問答が延々と続いて面食らう。正直このパートを読みながら「ええいマグロはいい!早く海芝浦駅を出さんか!」と何度も思った。
でも後半パート、自宅から海芝浦駅に向かう途中の描写が続くあたりになると主人公の感覚よろしく急に実感が出てくる。東京に住んだこともないし東京に逝く機会も少ない漏れも、都心から「東京人が本物の東京という」方面に進んでくあたりの遷移とか、海芝浦駅に近い地域からにじみ出る、心細さまじりの奇妙な郷愁(主人公と同じ立場ではないので主人公の感じたものとは別種のモノかとは思うけど)に心がずきずきした。

主人公は途中いくつかの駅で降りたり鶴見の「沖縄カイカン」に寄ったりして最後海芝浦駅にたどり着くものの、特に劇的な展開とかそういうものがあるわけもなく話はぷつっと終わってしまう。最後まで電話の主は正体不明だし、海芝浦駅にたどり着いたことで主人公が何かを得ることもない。多分。
この物語、と呼べるかどうかははっきりしないけれどとにかくそれ全体を包んでいるのは、恐らく「過去に結びついて生じるある種の感情」だと思う。たとえば主人公は行程で様々なモノを思い出す。海芝浦駅に近づくにつれて目立つようになる工場やらコンビナートやらといったものを見て故郷の四日市を思い出し、祖母のことを思い出し、昔食べたチョコレートのことを思い出し…
そういえば作中にはマグロがよく出てくるけれど、主人公の出身地・四日市はマグロではないけれど鯨の捕れる漁港があったという。鮪と鯨とどう関係があるかはわからないけれど。

それらはいわゆる「郷愁」と呼べるかも知れないけれど、主人公あるいは作者がただ淡々と(感傷も何もなさそうに)過去を語ってるおかげでそれが主人公にとって郷愁と呼べるものなのかは分からなくなっている。過去の記憶を語ること自体が郷愁を表現してるしたしかに漏れも郷愁を感じた。でも、主人公が感じていたのは郷愁とは何か別のモノか、同じ郷愁でも性質の違うものなのではないかと思った。

その辺の違いは、物語中に現れる物事に見え隠れする「内と外」のモチーフにあるのかも知れない。口と心、海と陸、外国(人)と日本(人)、特にアメリカと日本、国産チョコレートと外国産チョコレート、自分の家と祖母の家、沖縄と内地、自分のイメージの中の21世紀と現実の21世紀(目前の日本)、過去の栄光と現在の停滞、海と海芝浦駅、海芝浦駅とその向こうの東芝。一方は自分の側に属しているが、もう一方は自分の属していない、あるいはかつて自分の側に属していたもの。どれもが全く無関係でなく、対立するでもなく同時に存在する(一部を除けば)。
主人公の海芝浦駅への旅は、自らの内と外に遭遇する旅ではなかっただろうかと思う。自らが関わってきた「外」を思い出し、その「外」が現在の自分(内)とともに存在し続けていることを証明した旅なのではないかと*1。主人公の思い出した過去の物事は、過ぎ去ってしまったことではなく現在の自分あるいは現在という時空とともに存在していて、もしかしたらコンビナートとか海芝浦駅に至る風景の姿をとって主人公と相対していると言えるかも知れない。

主人公は冒頭で、夢に現れたマグロについて、

恋人としてのマグロ。といっても目と目を見交わす以外のことは起こりえないし、それが最高の到達点になる。彼は触ると爆発する恋愛用マグロなのだ。

と逝っている。だが海芝浦駅に到達した彼女は、

板とホームの隙間では焦げた金属のような、海が動く。−そこだけが夢の景色に思えた。マグロのいない夢の海だ。

と言う。海にマグロがいないことを失われた過去の象徴と考えることも出来るけれど、漏れとしては「マグロは過去の象徴だけど現在という時空と並列して存在するもの(=過去であっても決して失われたものではない)で、相対し接触することでマグロは爆発し消滅した」と解釈したい。夢の中に現れる「恋愛用マグロ」の「恋愛」とは過去との対面と接触を指し、「絶対に予知夢ではないと思った」と言うものの「いつのまにか、マグロの目玉がブームになっていた」り、二十一世紀のことだと思いこんでいたスーパージェッターが三十世紀のことであると指摘されたことを考慮すると、マグロとの恋愛は結果としてささやかな未来への方向性へと転化したんじゃないだろうか。

…と深読んでみるテスト。

つまり長々とした文章で言いたかったことは、一度最後から読んでまた電話主との押し問答を読み返してみるとなかなか面白いんじゃないかということだったり。

ちなみに「アンダカシー」というのはラードをとった後に残った豚肉(のカス)のことだそうだ。

*1:こんな風に書くと主人公がさもスゴいことをやったように見えるが