コミュニケーション能力とか

2000年代に考える「ネアカ」と「ネクラ」 - ARTIFACT@ハテナ系を読んで思ったこと。もしかしたらリンク先の記事とはあんまり関係ないかも。

もはや単に趣味によって「オタク」と有徴化され、差別抑圧されるものはいなくなった。代わりにあるのがコミュニケーションスキルの低い者、愛されない者、社会的能力のない者に対する容赦のない軽蔑の視線である。サブカルとオタクの差異は(外的には)もはや存在しないといっていい。

(上記リンク先の引用部分より。というか孫引き?)

コミュニケーションスキルも低く、それなりの濃度を持ったオタ趣味(=独自の価値観)もなく、社会能力さえない漏れはただの非モテです*1


それはともかくコミュニケーションスキルについて。
最近思うに、「コミュニケーションの低い人間」には2〜3種類くらいいるんじゃないでしょうか。「自分のコミュニケーションスキルがどう低いかを把握する、あるいは把握しようとしてる人間」(仮にAとする)がいて、「自分のコミュニケーションが低いことを知ってるだけの人間」(Bとする)もいて、そしてもしかしたらさらに「自分のコミュニケーションスキルが低いことをわかってない人間」(Cとしておく)というのもいるかもしれません。

Aは自分のコミュニケーションスキルのレベルを(どのくらい把握してるかに関わらず)考えながらコミュニケーションをとる、すなわち自分をどう印象づけるかとかについてある程度の戦略を持ちながら対応するタイプ電車男的にオタ世界に背を向けて現実世界に旅立つ人はここに入るかもしれません*2
Bは、経験的に「自分がまともなコミュニケーションをとれない」ことを知ってるものの、自分のコミュニケーションスキルの低さに対処する以前に「コミュニケーションスキルの低さによる自他へのダメージ」に尻込みしてコミュニケーションの場から引いてしまう人間で、もしかしたら「引きこもり」とカテゴライズされる人が多いかもしれません。
Cは…いわゆる「イタい人」に当てはまるかもしれません。コミュニケーションスキルが低いことを自覚しておらず、故にコミュニケーションによるダメージの自覚症状もない(らしい)ので、当たってくだけろ的に=古式若葉的に空回りな接触を繰り返すのがここにカテゴライズされる人かと思われます。
A.B.Cごとに「○○な人が当てはまる」とカテゴライズしてみましたが、一個人の中でもA状態の人がB状態に移行したりということも恐らくあるでしょう。

「コミュニケーションスキルの問題」で問題になるのは、コミュニケーションスキルが高いか低いか以外にも自らのコミュニケーションスキルの低さに対してどういった態度をとるかが重要になるじゃないでしょうか。
Aな人は自身のコミュニケーションスキルの低さを把握し悟ることでコミュニケーションスキルが上がってゆくこともあるでしょう。でも「とりあえずコミュニケーション能力を底上げして見せるだけにしておく人」や「コミュニケーションが低いなりのコミュニケーション方法で集団内でのポストを確保しておく人」もいるでしょう。そうなると「コミュニケーションスキルが向上した」とは言えないかもしれない。
Bな人やCな人もそれで問題がないのならスキルの高低が問題にならなくなる場合というのも出てきそうです*3
つまりコミュニケーションの低さに起因する事態で自分や他人が傷つかなければいいわけで、コミュニケーションスキルが低くても低いなりに工夫されたコミュニケーションのとり方でオッケーならスキルの高低は問題にならなくなる可能性も出てくるかもしれません。自分のコミュニケーションスキルの自覚はコミュニケーションスキルの向上に必ずしもつながらないし、コミュニケーションがうまくいってるかどうかと本人のコミュニケーションスキルの高さは対応しない場合も出てくるんじゃないでしょうか。

で、コミュニケーションスキルの高低だけでなくコミュニケーションの低い中にも幾種類か出てくるという事態になると、コミュニケーションが低い人間同士の階級闘争(?)とかコミュニケーションスキルが低い中でのカーストが出てきそうな気がします。コミュニケーションスキルの高低によるカーストよりもそっちの方が問題あったりして…

*1:いいかげんしつこいような気もするが湾

*2:オタの中でも「自他共に認めるオタ(強オタ)」の大半はなんとなくここに入るような気がします

*3:ただ、「Bにカテゴライズされそうな引きこもりの人というのは周囲の人間も当事者自身も苦しいものだし、Cな人の中でも他者を害するイタい人が放置されるのも問題。もしかしたら引きこもる人やイタい人のコミュニケーションスキルが問題にならないのはレアケースかも