半ズボンを通して見る子供の戦後史

半ズボン - Wikipedia

「半ズボン」というよりは、半ズボンを通して見た戦後日本の子供観の遷移に近いおもむき。そして使われてる写真がナゾ。

基本的には春から夏にかけての衣装だが、学年に1人は冬でも半袖半ズボンで通す小学生がおり、そういう小学生は健康的だと大人から称賛された。学校挙げての半ズボン義務付けでなくとも、6年生担任の先生は、しばしばおしゃれが下級生に波及することを防止する目的で、自分のクラスだけでも冬でも半ズボンを義務付けようとした。

 漏れの小学校にもいましたよ。冬になるとさすがに半袖でなく上にジャンパーか何かを羽織ってたような気がしますが、そいつは常に半ズボンがデフォでした。漏れの出身地は北海道の中でも極度に寒いところ*1でなんで年中半ズボンというのは自殺行為とまでは逝かないまでもかなりツラいものだったと思いますが…とりあえず北海道にも「年中半ズボン」はいました。
 後者の「おしゃれの波及阻止目的としての半ズボン」は意外。

後述するイトーヨーカドー子供衣料仕入れ責任者は、デニム半ズボンとブランドハイソックスにチョッキを組み合わせれば、子供服としては決まりすぎになり、要人に献花するときの衣装になると言う。

戦前・戦中に育った親たちは、自分が半ズボンによる子供らしさを強いられた経験がない。半ズボン文化がこれだけ徹底的に否定されたのは、半ズボンによる子供らしさの押し付けが少年たちにとって本意でなかったのかと考えざるを得ない。

この記述が妙にリアルでワロス

ハーフパンツの普及は、半ズボン全盛期ですら半ズボン文化の浸透が充分でなく、ジャージの着用が一般的だった農村部で始まった。都市部のハーフパンツ化は、2〜3年遅れた。そうして、1999年には衣料業界が半ズボンから完全に撤退し、店頭で半ズボンを購入できない、お下がりの半ズボンを着用して登校したらからかいに遭うなどの、ハーフパンツの範囲でしか選択の余地がない状況が生まれた。

これも意外。短パンはいつの間にか消滅してハーフパンツに置き換わっていて、ともすれば「ハーフパンツ=都会的でファッショナブル」「半ズボン=時代遅れ」という図式が成り立つくらいになってるのに、意外にも都市部ではなく農村部から浸透してったとは。
 でも納得できる部分もちょっとあり。気候が違うせいもあるけれど、北海道の農村部における子供の服装のデフォは長ズボンのジャージで、半ズボンは夏のみという印象がある。都市部になるとちょっと事情は変わるかも*2

ちなみに長ズボン - Wikipediaでは…

欧米特にアメリカでは、男児が半ズボンを着用する習慣も1970年代には廃れ、1990年前後にハーフパンツが出現するまでは、長ズボン着用が一般的とされた。

「半ズボン→長ズボン→ハーフパンツ」だったらしい。

ハーフパンツ - Wikipediaでは、

1980年代末に、アメリカ黒人の若者が遊び着として考案したものが、ハーフパンツの呼び名で若者文化の中に普及した。長ズボンを中途半端な丈で切る、という発想は、貧乏人の子だくさんが当たり前のアメリカ黒人にあって、母親が長男のために手製した長ズボンを、お下がりしていくうちに裾の破損を切り落としていくことからヒントを得たと思われる。

これは既製服が一般化する以前の日本でも事情は同じで、次男や三男にお下がりすることを前提に母親が手製したズボンは、擦り切れることを考慮し膝丈が普通であった。いわばハーフパンツは貧しい時代の子ども服を基にしたデザインであり、戦後への先祖帰りと言えなくもない。

だから農村部から浸透したのか、と考えるのはちょっと短絡的かもしれない。

そして面白いのが、

ハーフパンツの爆発的な普及には、社会的な背景があるはずだが、原因は解明されていない。教育学界や社会学界も、関心を持たないからである。

というあたり。

*1:年に一回以上は全国で一番気温が低くなる。ちなみに夏もクソ暑く年に一回くらい全国で一番気温が高くなることがある

*2:同じ出身地で高学年のとき札幌に引っ越した友達の場合服装のデフォがジャージからジーンズになっていた