脱非モテに伴う優位性の相対化と相対化を論じることに伴う優劣の強化について。あるいは「モテる者は非モテ達に非モテ達はモテる者に何を言えるのか何を残すのか」

何か小難しいタイトルな上に「あるいは」以降は何となくつけただけ*1だったりしますが、簡単に言ってしまうと「非モテから抜け出せた人間は非モテであることが大した苦悩ではなく、また恋愛中(あるいは恋愛可能である)状態もそれほど大きな歓喜を伴うものではない、という立場から非モテと接するけれど、モテと非モテが相対であると(モテの側から)考える人、あるいはそのように扱われること自体に<非モテに対する優位の表明>を感じずにいられないので結果として優位(劣位)が維持されたり再び作られてしまう」ということです。もっと簡単に言うと非モテじゃない人間のモテ非モテに関する言説は無意識のうちに同調圧力になってる(けど、その「無意識」とはモテあるいは非非モテ側の無意識のせいとは限らず非モテ側の無意識の影響もあるよ)ということでしょうか。

このことについて考えたネタ元はこちら。言及順に並んでますが漏れはpiroさん(一番下)から辿ってます。
非モテに捧げる駄文⑥「教養」としての「オタク」
あたしの文章は、長すぎてわかりづらいんだよなぁ。
当事者性のないNOT非モテはなぜ「高みより俯瞰せよ、さすれば相対化されよう」とのたまって悦に入りますか? - @kyanny's blog
Latest topics > 昔の自分の気持ちを忘れてしまった田舎弁士による恩の押し売り - outsider reflex

上の二つは、「非モテがモテを仮想敵として、非モテ恋愛至上主義者より優位であることを示すために行動することは優劣の無効化や是正という方向には働かずかえって勝者敗者の差違の強化を進めることになり、そのこと自体が十分恋愛至上主義恋愛資本主義)的である。だから本質的に恋愛至上主義の生産する差違から脱出するのであれば、さっさと恋愛とかコミュニケーションとかを相対化できるような、自らを充足できるような価値のあるものを見つけた上で『負け』を認め、恋愛市場の勝負から降りて自己の趣味にに邁進した方がより良い生き方が出来るのではないか」という話です。2番目の「いわん」さんの言うことをまとめると「恋愛至上主義の醜さに対して呪詛を吐き続ける非モテが実は一番の恋愛至上主義信奉者」ということになるかしらん。

で、金子(刺身ブーメラン)さんは二つめのいわんさんの記事に(特に「非モテは恋愛市場の勝負から降りるという可能性についても気づくべき」という部分に)神ついて、じゃなかった噛み付いて、「相対化は非モテで苦しんでる人間に対して何の意味も持たない」「そうして優位に立とうとする気が見え見え」「そもそも上に立つ人間が言う相対化の話はピントがずれていて話にならない」など比較的強い語調で非難している。いわんさんは同じ非モテとして反論(「まぁ、ちょっと反応してみようか。」)してますが、とりあえずそれは置いときます。

で、一番下のpiroさんは金子さんの記事に対して、
「モテが非モテの目線に立てないなど立場の違う人間が相対してる人の目線に立てないのは、パラダイムシフトを経て<こっち側>から<向こう側>に逝ってしまい、二度と戻れなくなっているから」
「自分の世界の中で解決しようと凝り固まってるこっち側の人間に向こう側の人間が教えるのは難しい」
「が、教える能力もないのに教えようとする押しつけがましい素人(田舎弁士)は何故だかいっぱいいる」
という風に説明してます。モテが非モテに対して立場の相対を訴えることが優劣の強化に繋がるのはモテが非モテと同じ目線に立てないから、と<こっち側>の視点からの説明になってます。

ただ…金子さんが噛み付いたいわんさんも実は非モテであり、決してモテと非モテのように目の高さが違うワケではありませんでした。これについては金子さんの誤認か、あるいは「上からいってるふうに聞こえる部分」に噛み付いただけかも知れません(そして漏れもそれで金子さんを非難するつもりはありません)。でも、同じ立場であるにしろ無いにしろ、「非モテという立場の相対化」については疑問を感じているようですし、意味のないことと思っているようです。恐らく多くの非モテもそう感じてるのではないでしょうか。

ではなぜ恋愛観や恋愛至上主義を相対化できないのか、本当に恋愛至上主義の相対化に意味はないのか?
漏れも最近やっとモテと非モテの相対化が出来るようになってきました(初期段階ですけど)けれど、恋愛至上主義の相対化ってのは時間がかかるし、相対化へ向けたそれなりのきっかけが必要な場合もあると思います。それこそ電車の中で絡まれてるおねいさんを助けてあげたりとか。
 漏れの場合は道東の田舎から札幌に出てきて人間関係とかのシガラミやスクールカーストから解放されたことなどがとりあえずのきっかけになってるんです*2が、札幌に出てくる以前はそれこそ「今の恋愛弱者&スクールカースト最下層という状況が苦しいのは自分の心の持ちようやスタンスがマズいからなんじゃ」と思いつつも恋愛やスクールカーストといった勝負から降りられずに、「俺は負け組なんだ、だからどうせ…」と心の中で卑屈になりつつもクラスの最上位メンバーが主催の行事(焼肉パーティとか飲み会とか)に参加して女の子関係のきっかけの無さや微妙すぎる立ち位置に凹んでますます卑屈になったりとか相対化とは縁遠い生活を送ってましたとも。漏れだってそんなときに「もてないことはそんな大したことじゃないし、彼女がいたりもてたりすることもそんな特別なことじゃないから、恋愛とかそういうのはあきらめて恋愛に固執しすぎて思い悩まずにもっと自分にとって大切なことを」とか言われてたら逝った本人を刺し殺してたかもしれません。

ちょっと脱線してしまいましたが、このような自分の経験から関係性や自己認識がガラッと変わるような環境の変化がないと高いレベルの相対化は難しいと漏れは考えます。すなわち努力だけでなく不確定要素も必要であるということでしょうか。
また高いレベルの、と書いたように相対化にもいろいろなレベルがあるんじゃないでしょうか。環境がガラッと変わること(人間関係から解放されたりとか何かのきっかけで女の子と知り合うとか)で非モテ意識が180度変わって「なあんだなんでモテないことで悩んでたんだろ」と思ってしまうような高いレベルの、恋愛至上主義自体を相対化させてしまうものもあれば、「モテることもモテないことも大したことはなくて、モテることにも大した意味はないことは分かってるけれどモテないのが辛いのは現実だしモテる奴は大体ムカつく」とぼんやり思う程度のレベル、恋愛観の相対性の認識くらいのものもあるのでしょう。
不確定要素の話に戻すと、その不確定要素も努力とは全く関係がないわけでなく、自らの努力や行動如何で変動するもののようにも思います。ちょうど周囲に浮かんでる粒子が動いてる空間で他の粒子に当たるためには静かに浮いてるよりも動いていった方が確率が上がるように。でも多分個々人によってよりよく結実する努力の方法は違うでしょうし、どれだけの努力が必要なのかは数値化が難しいというか出来ないでしょう。恐らく恋愛至上主義を相対化するチャンスを得るための努力というのは、恋愛至上主義を相対化した本人にも分からないもののようにすら感じられます。実は書いてる自分自身も推測で書いてる部分が多いので確率を上げるための努力がどんなモノなのかよく分かってなかったりします。
非モテが「相対化せよ」という言説に対して疑念を持つのは、高いレベルの相対化を起こすチャンスの確率を引き上げるために必要な努力の方法について触れないまま相対化について語っているから…そんな風にも思えます。努力といっても非モテから脱出するためのファッション指南やルーティンに従った「モテるための努力」ではなく、「勝負から降りる(チャンスを得る)ための努力」、逝ってみれば「非モテを突き抜けるための努力」なのかも知れません*3。そういった努力について一切触れられないまま相対化という目的だけが語られるため、「相対化は不可能」と思ってしまうフシもあるかもです。
piroさんの言うように、相対化チャンスというパラダイムシフトを経た人間にとって、相対化以前の視点を取り戻して自分の相対化チャンス確率引き上げ法がどんなものだったのかを伝えるのは難しく、ヘタをすると(というか多くの場合)押しつけがましい素人になりそうです。
(9月17日加筆訂正→タイトル若干変更、「再生産」という言葉を使ってたけど意味が違ってそうなので「強化」に変えました。kiya2014のブックマークでの指摘、ありがとうございました。ちなみにパラダイムシフトという言葉については参照元(piroさんの文章)にならってそのままにしておきます)
(さらに修正。id:Ivan_Wiskyさんの指摘を受けて「恋愛とかそういうのはあきらめて」の部分を修正。読みが足りない故の誤解でしたし、それ以上に自分自身が歪んだ捉え方をしていたせいもあるかもしれません。申し訳ありませんでした)

↓の三つは参考に。
非モテ脱却トレーニング - おれはおまえのパパじゃない
ScarecrowboneLog
オタクVSサブカル - 吉田アミの日日ノ日キ
とりあえずコメントは後で書こうかと。

*1:哀・戦士」参照

*2:実は札幌に出てきて以降も無理矢理非モテから脱出しようとして失敗してたりしますが。それと札幌に出てきたこと以外にもいろんな要素が絡んでるような気がする

*3:ただ相対化チャンスがイコール彼女を持ったりモテに移行することと一致する場合はモテ努力なのかもしれないけど、本当に一緒なのかは難しいところ

モテないから彼女が出来ないのではない。彼女が出来たらモテというわけではない。ではそもそもモテとは一体何か? モテるための努力とは何か?

となんか壮大な見出しを書いたけど書いただけで力尽きた罠。

モテ非モテ論争についてはかなり疎いけれども、何となく「非モテ」という言葉が一人歩きしすぎてる、あるいは一般化しすぎてるような気がします(漏れも十分「非モテの一人歩き化に協力してますが)。2ちゃんねらーがボーグのように単一の方向性を持ったモノのように見られるように。でも非モテ問題ってのはもっと個人的なもので、非モテである自分がどう生きるべきかは個々人の問題であるように思うんだけれど…

Every Extend Extra

http://e3-game.com/

一時期ハマってたフリーソフトが漏れの知らない間に「メテオス」の中の人によってコンシューマー機(PSP)用ゲーム化。おめ。元ネタはこちら。ちょっとだけPSPが欲しくなった罠。
ゲーム内容の変更はあまりないようだけど、ステージ画面がえらくハデに。rezみたいに画面と音が同期するフィーチャーもついたらしい。ここらへんはもともとテクノっぽいゲーム(?)だっただけに順当な進化と思われ。フリーソフト版を知らないと何でExtraなのかが分からないのはご愛敬か。
個人的にはこのゲームがヒットしていろんな個人製作(orグループ製作)ゲームがコンシューマー機に移植されることに期待。特にABAさんのあたりを…