自分の仕事は、いわゆる「感情労働」なのだろうか

http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html

ブクマで「後で何か書いておく」と書いてしまったので、感情労働者と呼ばれそうな人間として、ツッコミとか足りない経験に依拠したコメントなんかを書いてみる。


まず自分がやってる仕事について書ける範囲で書いておくと、プロファイルにもあるとおり某企業のコールセンタの電話オペレータ*1をやっている。コールセンタの中の人の経験としては、3年くらい前に半年、去年の春から別の会社に入り現在も在籍中という感じなので2年弱くらいというところだろうか。経験はまだまだ浅い。

今までいたところの中では比較的クレーム入電の少ない職場ではあるものの、やはりクレームは一日一本程度は入ってくる。お客様の過失・無知・勘違いからくるものもあれば、自分たちのサービス形態や周知のわかりにくさからくるもの、窓口対応のまずさによるもの、同業他社やグループ会社がらみのもの、あるいはどう見てもいちゃもんや憂さ晴らしとしか言い様のないものなどいろいろある。

当たり前なのだろうけれど、それらのクレームが前述したような原因のいずれか一つによるかというとそうでもなく、いろんな要因が何割かずつ入ってくる。また、すべてがお客様側に起因するものやすべてがこちら側に起因するものというのは少なく、どちらかにも多少の非があるケースの方が多いんじゃないかと思う。
そういう感じなので、今いる窓口でクレームがあった場合には「○○について至らない点があったことについてはお詫びし今後のサービスの参考にするが、お客様には××をお願いする」(××には料金の支払いとかお客様自身での手続き、他窓口へのかけ直しが入る)と案内して収めてもらうことが多い。

ただ、企業にもできることとできないこと、あるいはできることの限界というのがある。企業というのはお金を払ってもらった人に対してそれ相応の商品やサービスを、可能な限り公平に与えるために存在しているし、何でも安易にできると言ってしまえば企業に無用なダメージを与えかねない*2
上記の案内例にもあるとおり、オペレータが対応する時点においては「できることは受け入れるができないことはできないと伝える」必要が出てくる*3。一番はじめに電話が入ってくるオペレータのレベルにおいては、クレーマーであろうが心優しいお客様であろうが特別扱いすることなく公平に扱うというスタンスをとらざるを得ない。

ちなみにオペレータのレベルで納得してもらえない場合は、上司対応で納得してもらったり突っぱねたり、なおゴネる場合ややむを得ない場合(例えばどう考えてもこちらに非がある場合だとか、関連会社や他部署が絡む場合)には関係各部署に確認をとった上で対応を再考するという流れになる。

という感じで、クレームに対する電話オペレータの対処というのは大体こんな風になってるのではないかと思う(上記のスタンスは自分の職場だけなのかもしれないけれど)。クレーム電話への対応は杓子定規じゃうまくいかないけれど、基本スタンスを押さえれば自分や企業へのダメージは最低限に抑えられるんじゃないだろうか。
記事の和田氏の話の中に「『そこを超えるとただのクレーマーだぜ』ってラインを確立しないと、どんどんおかしなことになる」とあるけれど、対応している企業側ではそこら辺のラインというのは一応確立してる事項だと思う(ただ、あるラインを超えると「クレーマーちゅうの」と言ってしまうも大いに問題があるので、状況によってダメージを抑えるため最低限譲歩することは大いにあり得るだろう)。

あと必要なのが、最初にあげた記事の「感情労働」的な部分に大きく当てはまるであろう部分だろう。ただ自分のしてる仕事がそういう「感情労働」に当てはまるかどうかは分からない。

記事ではいわゆる感情労働の定義を「人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事」と紹介している。確かにこの仕事でも人間を相手にしているし、感情のコントロールも必要ではある。ただ他の仕事、例えば営業とか事務とかでも人間を相手にするし感情のコントロールも当然のように必要となってくる。
あとは感情コントロールの程度というところになってくるんだろうが、コールセンタの中の人の場合慣れてしまえば「高度な」感情コントロールまでは必要ないんじゃないか?と思ったりする。

記事の冒頭には「感情を切り売りするが如き感情労働」とある。しかしコールセンタで働いていても、感情を切り売りしているという感覚は全くと言っていいほど感じない。
たしかにお客様にお話するとき、声にある程度の表情をつけて話すし、お客様の感情にあわせて声の表情を変えたり態度を変えたりはする。ただそこには感情は伴っていなくて、感情の余分なところをある程度頭の中から切り離した状態になっている。端的に言えば「声の営業スマイル」というところだろうか。

いちいち感情を切り売りしていては、この仕事はおそらく成り立たないのではないだろうか。ただでさえ神経を使って疲れる仕事なのに、こういうところに感情を使うとさらに疲れるはずだ。もちろんイラッとくることはないわけではない(むしろそれなりに多い)し、朝の一発目で引いたのがクレームだったり、仕事がうまいこと逝かなかったらブルーにはなるけれど、感情の切り売りとはいえないような気がする。クレーマーにいくら怒られようと、それが企業への要求や苦情や言いがかりにも近い自他への非難とかであって自分の過失で無い限りは、心が折れたり凹んだり感情的になったりはしない。ただあからさまに自分の過失であれば感情的にはなってしまうだろう(感情的になるだけでは解決しないので改善しなくちゃならないけれども)。

それと、電話の仕事をしてることを知り合いなんかに話すと「相手の顔が見えないから大変なんじゃない?」と言われることがある。確かに相手の状況が目に見えないし、こちら側から何かする場合でも対面接客とはおそらく違ったものが要求されるだろう(対面接客はしたことがないからよく分からないけれど)。けれど自分が相手の表情や状況、姿形が見えないということは、あちら側にも自分の状況が見えないということになる。それで苦労したり誤解されたりというのもあるけれど、相手から見えないことでかえって仕事から感情をある程度切り離せているような気もする。


上記の記事については、4割くらいは賛同できる気がするんだけど、あと6割には何らかの違和感を感じてしまう。こういうのってのは「感情労働としてカテゴライズすること」や「高度消費社会のひずみとしてとらえる」ことだけでは捉えられないんじゃないだろうか。
記事では「サービスで差をつけようとしてお客の都合に合わせようとするから思い上がる」的な表現になってるが、実は企業(特に全国規模の企業とか)ってのは結構お客様に「こちらの都合に合わせろ」と強いている部分があって、お客様の方がそれに対応しきれなくなってるところもあるんじゃないかと自分は思う。
強いている、というと語弊があるけれど、言い換えると「サービスを提供しているお客様に公平にサービスを提供しようとするためには、企業側の負担というのもある程度減らさなければならない」ということになるだろうか。

コールセンタ周りの懸案としてよく出てきそうな現象として「たらい回し」というのがある。どこかに問い合わせていろんな部署に回されるということは昔からあったんじゃないかと思うけれど、今そういう窓口、コールセンタってのは全国に分散してる(札幌も割と多いところ)し、同じ企業内でも部門部署によって窓口がかなり専門化してる状況だったりするからなのか、「○○社の窓口だから同じだと思ったらおまえんとこじゃ分かんねえのかよコンチキショー」とかと言ったような不満はよーく聞いたりする。
それにサービスごとに窓口が分かれたり分散してたりすると必然的に小回りがきかなくなってくるから、お客様としては「こんなこと簡単だろ」と思うことが易々とできなくなってる面もある。「そんな簡単なこともできんのか?」というのもよく聞くセリフだったりする。

おそらくこういう不満ってのは、個人商店や小さな会社が多かった昔ではあんまりなかったんだろう。小さければ窓口の数は限定されてしまうし、お客さんから不満が出ても割と現場の判断で解決できそうだ。
自分の職場の傾向というところもあるだろうけれど、電話で問い合わせしてくる人で多いのは大体50代以上くらいの人だったりする。クレームを訴える人もそのくらいの人たちが多いような気がする。そのくらいの年代の人なら、個人商店とか中小企業と同じ感覚で全国規模の割と大きい企業へ問い合わせることも考えられる。そこで自分の思ったような対応が得られないとしたら、クレームになる可能性は結構高いんじゃないだろうか。

サービスの変容によって顧客側のとらえ方が変わってきた、というのは確実にあるだろう。ただ、ファミレス=コンビニ文化化による「客側の間違った権利意識」云々以外にも、「企業側の合理化によるサービス提供形態の変化」というのもあるように思う。記事では和田氏が、

「生産が消費に追いつかなかった時代はモノを作った側が強かったけれど、モノがあふれて消費不況が慢性化した今ではサービス合戦しかない。その構図から『お客様』の側にものすごい甘えが許される環境ができて、月並みなサービスでは満足できない消費者たちがたくさん育っちゃった」

と発言してるけれど、逆にある程度サービスを省く企業・業態(QBハウスみたいなカットのみの床屋チェーンとか、セルフサービスのガソリンスタンドとか、ドトールとかスタバみたいなセルフサービス中心の喫茶店とか)も増え始めてるので、やっぱり理由はそれだけじゃないような気がする。むしろ自分としては「元々それなりにわがままだったお客様が、企業側の合理化について行けなくなった」という面もあるんじゃないかと考えたりする。

また、武井氏の発言、

ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えます。以前は、顧客が常連や顔なじみであることが多く、ある程度の親密さや信頼感がありましたが、今は気質も好みも分からない不特定多数の人を相手にしなければなりません。しかも瞬間芸的なスピードで、感情労働が求められています

にあるような現象もあるのだろうけれど、お客様側にも「利用の仕方や何を前提にしているのかがぱっと見分かりにくい業態やサービスを使う機会が増えた」という状況の変化が何らかの影響を及ぼしてるんじゃないだろうか。



記事にもあるような看護師や教師の仕事は確かに感情労働に当てはまると思う。看護師は精神的な面で何かを要求される場面もあるだろうし、教師も生徒に教育をするだけでなく生徒同士に生じる感情的な問題の調整、あるいは場合によって生徒と親、親同士の感情の手当までしなければならないケースさえあるだろう。
自分の仕事が感情労働に当てはまるかというと、いまいちぴんとこない。ただ、人々の感情をいやと言うほど浴びせかけられるという仕事ではある。自分たちはカウンセラーとか人生相談とかをやってるわけではないから、お客様の感情にフルで応えたり感情移入をする必要というのはとりあえずない。ただ、ある程度お客様の感情や事情を酌んだ上で対応の仕方を微妙に変化させることは必要なことだし、何よりお客様には気持ちよく電話を切ってもらうのが理想なのだ。そういう意味では、感情労働とまではいかないまでも、「感情が絡んでくる労働」なのかもしれない。

(まだ続きそうな気がする)

*1:業界的/内部的にはコミュニケータと呼ぶが、対外的にはオペレータと呼称・自称している

*2:ただし安易でなく慎重に確認や協議を行った上で特別対応をとっても、お客様に「こういうことができるんだ」と誤解(飽くまで悪用でなく誤解)されて予想外の事態が起こることもある

*3:自分としてはクレーム対応で一番怖いのがその部分だったりするのだが