モテてはいけないなんて思ったら負けかなと思っている

はてブコメントの暴力性 - ARTIFACT@ハテナ系を読んで。

「モテなくてはいけない」(あるいは「人間一度は恋人を持たなければいけない」「いつでも恋人を見つけられて恋愛できる状態でなければいけない」)という考え方は強迫的で誤謬を含んでいると思うが、「モテてはいけない」「恋愛を指向し彼女を持とうとすることは堕落だ」と言ってしまうのは「モテ強迫」より非常識、というか倒錯的ですらあると思う。


「まるで非モテが玩具みたいに扱われてるみたいじゃないか」と思ったのかも知れない。あるいは電車男的な「非モテだってモテになれるんだ!」という幻想に「寝た」「媚びた」「便乗した」態度が癪に障ったのかも知れない。一応非モテの漏れもそれは理解出来る。でもそこに悪意はあったのか。確かに悪意はなくとも結果的に悪意から引き起こされた行為に「見られてしまう」こともあるだろう。でもそれに対して悪意で返す必要はあったのか。

「非非モテからの同調圧力」がイヤというものもいるだろうが、でも否定すべきは同調圧力とかであって「非モテだったものがモテること」「モテたい(orモテさせたい)という気持ち」ではないと思う。それを否定してしまってはダメなような気がする。確かに非モテの中には「恋愛なんて願い下げだ」という人もいるだろうし、自分もどちらかといえば恋愛をあきらめ勝負からちょっとだけ降りた立場でありたいと思う。でもそれは個々人のスタンスの話であって、それによって他人の行為を否定できるほど一般化できるものではないんじゃないか。非モテをこじらせてしまって否定すべきものを間違ってしまったら負けかなと思う。


しかし非モテ論争に首を突っ込むと抽象的なことしか書けなくなるのは何故だろう。