ひこうき雲の場合は、あまりにも

 この歌を聴いてて「フランシーヌの場合」を思い出すのは何故だろう。同じ「若者の自殺」を取り扱ったもの(多分)だけど、フランシーヌには明確な理由がある*1けど、ひこうき雲の「あの子」には無い…ように見える。少なくとも歌詞中の「あの子」以外の人間には。しかもそれでいて「けれど幸せ」である。

 自殺、というと今でも「何か明確な理由があるはずだ」(=無ければオカシイ。あるいは無い場合には社会や時代に理由を求める)という風に考えるむきがある。けれど本来、死に理由なんてものはないんじゃないだろうか。むしろ明確な理由のある死こそが例外じゃないか*2。「わからないけれど、恐らく空にあこがれたんじゃないかしらん」…そのくらいが、死んだ人にとっても変に詮索されないし負担にならなくていいんじゃない。あの子はひこうき雲になってしまったのだから。
 この歌を聴いてそんなメッセージを読み取ってしまうのが正しいかどうかは分からないけれど…と、評論めいたことを書いてみるテスト。

*1:確か戦争か何かに対する意思表明のために焼身自殺した、という話だったはず

*2:だからこそ「フランシーヌの場合」は歌になる、という側面もあるだろう